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風俗の歴史

【コラム】ソープ文化を創った遊女とは

こんにちは!はやさんです!

時代劇やドラマなどで「吉原」「遊郭」「遊女」などのワードを見かけたり、耳にすることありますよね?

吉原といえば江戸時代の吉原を舞台にした映画やドラマなどにも取り上げられていたり、今ではソープ街として有名な地名です。

ご存知の方も多くいらっしゃると思いますが、吉原にはソープランドの原点とも言える『遊郭』が存在していました。

さて、今回はソープランドの原点とも言える遊郭で働くかつて「遊女」と呼ばれた女性について見ていきましょう!

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遊郭とは

遊郭とは江戸時代、幕府の政策の一つとして現代時代で言う風俗店ならびに風俗嬢を強制的に収容した特定区域の事です。

代表的な特定区域とは、当時の吉原・新町(大坂)・島原(京都)・丸山(長崎)などが有名な特定区域として挙げられます。

遊郭は遊女と呼ばれる風俗嬢を雇う置屋と揚屋(現代においてのプレイルーム)からなり、独特の風俗を形成し人々の代表的な社交場とも言われています!

働く女の子は最盛期で約2万坪の敷地に数千人。遊郭自体は1957年、昭和32年まで存在していたと言われています!

遊郭の現在

吉原など、遊郭が過去にあった場所にはソープランドに変わり、昔のようにとはいきませんが今も運営が続けられています!

ですが、大阪では今でも150軒以上の遊郭が残っています。

ご存知の方が大半ですが、代表的な遊郭が飛田新地。今では日本最大級の遊郭として有名な区域です!

あの異様な独特の雰囲気は、そのような歴史を経ての貫禄とも言えるものです。

遊女とは

遊郭で、男性客に性的サービスを行う現代的には風俗嬢と呼ばれる女性のことを遊女と言います。

現代のように、遊女にはなりたくてなるような事はなく幼少期や少女、年齢で言うと6歳から10歳前後の子を家族が遊郭に売られていたそうです。

金額は親の身分により、異なりますが農民の場合は30万円ほど、武士の場合はおよそ180万円くらいでした。今では考えられない人身売買ですね…。

とはいえ、江戸時代の風俗嬢と言えば「花魁」など華やかなイメージをされがちな印象を受けますが、実際誰もが花魁になれるわけではなく、花魁はあくまで遊女の階級のことです!

限られた遊女のみが、得られる花魁と言う地位。現代で言うと「ランカー」や「看板娘」といった認識が一番しっくり来ますね!

ちなみに、遊女の階級で最も低い階級は「鉄砲女郎」と言うようです!

花魁になるには

花魁は遊女のなかでも、最上位の階級の遊女のみを指し示す呼び名。

同じ遊女でも、花魁と鉄砲女郎とでは差があります。

それもそのはず、花魁になるにはまず遊女になるための勉強をしなければなりません。それも幼少期から徹底的な英才教育を。それをクリアした者のみが遊女になることができ、その中でもより多くのお客さんに支持されているものが、花魁の階級を与えられます!

今のようにお酒を飲むならキャバクラなど、エッチなことをするなら風俗といった利用用途が分かれていないため、肉体関係だけでなく、接待能力も必要です。

花魁になるには、美貌だけでなく三味線や歌などの芸を習得し、なおかつ古典や囲碁などの知性が感じられる教養も兼ね備えなければなりません。

それも、数年単位ではなく10年以上という果てしない期間を経てようやっと遊女としてなれるのに、そこからは実務実績という過酷なものです。

花魁になるには相当な努力が必要ですが、なった先には女性のあこがれでもある才色兼備な女性としての称号を手に入れたと言っても過言ではないでしょう!

遊女の最期は2種類

遊女は一度遊郭に入ると基本的には、外の世界に出ることはできません。

遊女は置屋に売られた時点で、身代金がそのまま遊女の借金となります。しかも、その借金の利子もかなり高額で、いくら花魁と言えどその借金は返しきることのできないほどの膨大な金額で、それを完済するまでは遊郭で遊女として行き続けなければなりません。

ですが、ある特例の場合のみは遊女を辞めて遊郭から出れるのです。

方法は2種類。

一つ目は「身請け」と呼ばれる遊女をお客さんが買い取った場合。

二つ目は方法ではありませんが、「亡くなった」場合。

遊女が亡くなる場合、最も多い死因は「瘡毒(そうどく)」つまり梅毒です。

身請け

身請けとは男性が気に入った遊女を指名して仕事を辞めさせる代わりに、遊女の身代金と遊女の抱える借金を払ってもらいます。

その代わり遊女は自分の借金を返済してくれた男性の愛人となるのがほとんどでした。

身請けをされるというのは、わずかな人数の遊女のみ。とても幸運な例です。

ただし、身請け先を選ぶことができないのも事実。花魁と一晩過ごそうものなら1回で最低でも60万円以上必要だとされています。

当然、一般の男性にそのようなお金があるわけもなく、身請け先には数少ないお金持ちや大商人などが身請けをしていたとされています。

結局、やっとの思いで遊郭を抜け出したと思いきや身請け先で一生を終える。それが本当に遊女の幸せに繋がったのかは分かりません。

瘡毒(そうどく):梅毒

身請けがなければ、一生遊女としての生活。病んでも逃げ出せないのであれば、自ら命を絶つしかありません。

そんな遊郭では、当時不治の病とされた瘡毒:梅毒が非常に多くの遊女の間で流行っていました。

歴史上、ペニシリンの発見により治る病気となった梅毒ですが、当時の性風俗店にコンドームがあったわけがありません。

そんな時代に不特定多数の男性と性行為を交わせば性感染症になったり、妊娠したりなんて当たり前です。

ちなみに、妊娠が発覚すると中絶を行なわなければなりません。そのショックで命を絶たれることもありました。

梅毒のみならず、他の様々な性感染症を発症していたことでしょう。

梅毒については関連記事をご参照ください!

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まとめ

いかがだったでしょうか?

我々の今があるのは、昔の文化があってのことですね!

あまり、歴史に興味があるかと言われれば言葉が出ませんが、ドラマや映画などを見ていると不意に実際どんなだったか気になったりますよね?

今回はそんな不意に思ってしまった皆様に向けての簡単な解説でした!

歴史を知る必要があるのかは分かりませんが、このような時代を経て私たちの風俗業界は作られてきたんだと言うことをお忘れなきよう。

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